2013年7月13日土曜日

我が家の最古の写真に想う。

昨年母が亡くなった折に、実家から古い写真を預かってきました。
整理して欲しいとの事ですが、今だに手付かず。
ぼつぼつ取りかかろうかなと思い、アルバムをめくっているとこの写真が出て来ました。









































この写真は父の幼少期。祖父と写っています。
撮影日は不明、広島 小笠原の刻印がおいてある台紙です。
父の生まれは明治45年、従って大正初期の写真と思います。
大正初期の広島では何があったのか調べてみました。
(以下広島市のホームページ)
大正元年(1912年)11月、広島電気軌道株式会社経営の市内電車が、広島駅‐紙屋町‐相生橋線など3路線で開通し、従来の乗合馬車に代わって市内の主要交通機関となりました。

市内電車開通を祝う花電車
市内電車開通を祝う花電車(大正元年(1912年)


















4年(1915年)4月には御幸橋-宇品線、6年(1917年)11月、左官町-横川線が開通するに及び、市内の交通は一段と便利になり、市の中央部である八丁堀・紙屋町付近が、城下町時代からの経済的中枢であった中島本町・堺町付近と肩を並べ、後には、これらをしのぐ繁華街となっていきました。

広島県産業奨励館は、チェコ出身の建築家ヤン・レツル(1880~1925)を招聘して、大正2年(1913年)に設計開始、大正3年(1914年着工)、1年余り後の大正4年(1915年)4月5日に地上3階地下1階一部5階の銅葺きドームが特徴的な姿を讃えて竣工、同年8月5日に開館しました。

















これが現在の原爆ドームです。

これから子孫達に我が家の歴史を伝える作業をしますが、未だ絵コンテが見えません。

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